大分地方裁判所 昭和63年(行ウ)1号 判決 1992年11月10日
原告
菅節子
被告
大分労働基準監督署長松尾親人
右指定代理人
甲斐康之
右同
後藤聡
右同
久保田哲生
右同
白石芳明
右同
伊藤大蔵
右同
本田宏
右同
永田蕃男
右同
前田博幸
右同
衛藤莞爾
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求の趣旨
被告が、昭和五九年六月一五日付けで原告に対してなした労働者災害補償保険法による内縁の夫森永敏夫に係る療養補償給付、遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の各処分を取り消す。
第二 事案の概要
一 本件は、原告が、内縁の夫である森永敏失(以下「森永」という。)の死亡は業務上の疾病によるものであるとして、被告が原告に対し昭和五九年六月一五日付けでなした療養補償給付、遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の各処分の取消しを求める事件である。
二 争いのない事実
1 当事者
(1) 原告の内縁の夫森永敏夫(昭和三年一〇月八日生)は、森永電気商会の屋号で電気及び配管工事の仕事をしていた者である。
森永は、昭和五八年九月三日午後二時ころ、大分県食品流通センター(以下「流通センター」という。)構内の作業現場において単車(ホンダカブ五〇c.c.)で材料を運搬中に転倒した(以下「本件事故」という。)。森永は、その直後、胸部痛を訴え、いったん自宅に帰ったものの、胸部痛がひどく同日午後三時過ぎころ大分市大手町の織部病院で、さらに、当日大分市医師会立アルメイダ病院に転院して各種治療を受けたが、翌四日午前九時三一分ころ心筋梗塞症により死亡した。
(2) 原告は、森永の内縁の妻で、森永の死亡当時同人と生計を同じくしていた者である。
2 本件処分
(1) 原告は、森永の死亡は業務上の事由によるものであるとして、被告に対し労働者災害補償保険法による療養補償給付、遺族補償給付及び葬祭料の各支給を請求したが、被告は、森永の死亡原因たる心筋梗塞症は業務に起因することの明らかな疾病とは認められないとして、昭和五九年六月一五日付けで療養補償給付、遺族補償給付及び葬祭料をいずれも支給しない旨の決定(以下「本件処分」という。)をした。
(2) 原告は、本件処分を不服として、大分労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたところ、同審査官は、昭和六〇年九月二七日、右審査請求を棄却したため、原告は、労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は、昭和六二年一二月一七日、右再審査請求を棄却する旨の裁決をし、同裁決書正本は同年一二月二五日原告に送達された。
三 主たる争点
1 原告の主張
(1) 国立別府病院児玉医師の意見書では、「心筋梗塞の発症は、比較的軽い冠硬化の部分に急な攣縮がおこって発症するときがあることが知られている。攣縮はとくに激しい心労や長期の過労状態で誘発されることがあるとされている。」旨指摘されている。
(2) 森永は、死亡の直前、長期にわたる過重労働の繰り返しによる過労と納期・資金繰りなどによるストレスが蓄積していた。
<1> 森永は、本件事故の三か月位前から多忙な状況で、特に流通センター内の冷凍庫配電工事を開始してからはなおさらで、非常に忙しく、徹夜の作業もあった。
<2> 森永の本件事故前五日間の労働実態は、平均睡眠時間が五時間弱で、しかも流通センターの冷凍庫配電工事を平均して午前八時から午後七時ないし九時までした後に、昭和五八年八月三〇日の夜は、翌三一日の午前零時ころから午前一時ころにかけてスーパーマーケットラッキー浜町店倉庫の修理を、同月三一日は午後一一時ころから翌九月一日午前二時ころにかけてスーパーマーケットラッキー四日市店の修理を、本件事故前日の同月二日は午後一一時ころから翌三日午前零時ころにかけて下郡温泉の養魚場の電気工事をそれぞれ行った。さらに、連日朝食前の午前六時から七時までは図面書きや請求書整理という作業も行っていた。
<3> 電気工事業は納期が厳格であるところ、本件事故当時、森永は、納期に追われ、加えて手形決済などを行うための資金繰りが窮迫するなど、精神的なストレスが蓄積していた。
<4> 以上のように、森永は、流通センターの工事を受注したころ(本件事故前約三か月)から量的に業務内容が過重となり、疲労が蓄積するとともに本件事故直前には深夜突発的な修理工事の発注を受けるなど精神的緊張と肉体的疲労とが極に達し、さらに、納期や資金繰りなどによるストレスが蓄積していた事情も加わって心筋梗塞症を発症したものであるから、これは業務に起因することが明らかな疾病で、右心筋梗塞症による森永の死亡も「業務上死亡した場合」に該当する。
2 被告の主張
(1) 森永の心筋梗塞症が、労働基準法七五条にいう業務上の疾病に該当するか否かは、同法施行規則三五条別表第一の二、第九号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するか否かによるところ、右についての認定基準は、労働省労働基準局長通達(昭和三六年二月一三日付基発第一一六号)により定められている。
(2) 右通達においては、その一として「特定の労働時間内に特に過激(質的又は量的に)な業務に就労したことによる精神的又は肉体的負担(以下「災害」という。)が当該労働者の発症前に認められること」という要件が掲げられ、その判定にあたっては、次の事項を参考とすべきこととされている。
<1> 当該労働者の従来の業務内容に比し、質的にみて著しく異なる過激な業務遂行中には、強度の精神的若しくは肉体的負担を生ずることが多いが、そのような事情にあったかどうか。
<2> 従来の業務内容に比し、量的にみてその程度を著しくこえる過激な業務遂行中には、強度の精神的緊張若しくは身体的努力を要することが多いが、そのような事情にあったかどうか。
<3> 発症直前において業務に関連する突発的な、かつ、異常な災害があった場合には、発病原因とみなしうる強度の驚愕、恐怖などを起こす可能性があるが、そのような事情にあったかどうか。
<4> 発病前日までの過激な業務による心身の興奮、緊張の重積については、発病直前又は発病当日における災害の強度(程度)を増大する附加要素として考慮すべきであるが、災害のない単なる疲労の蓄積があったのみでは、それの結果を業務上の発病又は増悪とは認められない。
<5> 基礎疾病又は既存疾病があった場合には、特に当該災害が疾病の自然的発生又は自然的増悪に比し著しく早期に発症又は急速に増悪せしめる原因となったものとするに足りるだけの強度が必要である。この場合当該疾病は業務に起因しない原因のみによっても発症又は増悪することが多いので、前記諸要件に照らしその鑑別に特に留意する必要がある。
(3) 森永の勤務状況
<1> 森永の本件事故当時の業務形態は、ほぼ朝八時ころ家を出て夕方六時ころ帰宅していたが、時々は朝七時ころ外出し、夕方七、八時ころの帰宅が月一回程度あった、というものである。
<2> 本件事故の前日である昭和五八年九月二日は、森永は、流通センターの仕事が終了した後途中ホルモン屋に立ち寄り、平日より少し遅い午後七時ころ帰宅した。帰宅後はビールを一本飲み、雑談後、平常通りの夕食をとり、午後一〇時ころ入浴したあと、新聞に目を通した。その後、森永は、深夜に下郡温泉にある養魚場の水車修理に赴いてはいるが、その時も身体の異常、過労などの訴えはなく、原告においても全く変化を感じなかった。
<3> 本件事故当日の就業状況については、森永は、午前九時三〇分ころ単車で流通センターに出かけ、就労上特段の事情は生じていない。
以上のことから明らかなように、森永が過労の状態にあったとすべき業務実態は認められない。
(4) したがって、森永死亡の原因となった心筋梗塞症は、業務に起因したものとはいえず、その死亡も「業務上死亡した場合」(労働基準法七九条、八〇条)には該当しないから、本件処分は適法である。
第三 争点に対する判断
一 森永の業務の状況
1 森永の就労の状況についてみると、証拠<証拠・人証略>によれば、
(1) 森永は、昭和五八年八月一五日ころから流通センターの配電工事に従事していたが、同センターにおける仕事は、ラックランド九州株式会社からの注文によるもので、工事内容は大型冷凍冷蔵庫を設置することに伴う電気工事であったこと、同工事の納期は同年九月一〇日であったが、試運転の必要上同月七、八日までにはこれを完成させることになっていたこと、しかも建物の建築関係の工事が遅れていたため、同年九月初旬ころは多忙な時期であったこと、森永は、流通センターにおける仕事を主に菅隆紀と共同で行っていたが、作業時間、内容、手順などは自ら決定して実施していたこと、
(2) 森永は、同年八月三〇、三一日は、流通センターでの仕事をいずれも午前九時ころから、昼食、夕食の時間(各一時間)を除いて午後一〇時ころまでしていたうえ、八月三〇日は、帰宅後、翌三一日の午前零時ころからスーパーマーケットラッキー浜町店において電気系統の修理に従事したこと、また、八月三一日は、午後一一時ころから翌九月一日の午前二時ころまでの間に同ラッキー四日市店の修理のため、菅隆紀運転の車で宇佐市まで往復したこと(<証拠略>によれば、右ラッキー四日市店店長の久保田忠秀は、八月三一日午後一一時から翌九月一日午前二時ころにかけての修理については記憶にない旨大分労働基準局の係官に説明しているが、<人証略>に照らして直ちに採用することはできない。)、
(3) 同年九月一日も、森永は、午前九時ころから流通センターの仕事を始め、昼食、夕食の時間(各一時間)を除いて翌日の午前零時近くまで作業をしたが、これはほかの業者の仕事が遅れたため、自分達の仕事も遅れたものであること、
(4) 森永は、同年九月二日も同様にして午後一〇時ころまで流通センターの仕事をしたが、夕食にはホルモンを食べ、ビールも少し飲んだこと、そして、同日午後一一時過ぎころ、養殖池の水車の故障の修理を宮崎奉治から依頼され、大分市の下郡工業団地まで赴き、約一五分程度かけてその応急修理をして帰宅したこと、
(5) 森永は、本件事故当日の同年九月三日も同様に午前九時ころ流通センターへ出かけたが、この時も元気であったこと、昼食は自宅に戻って食べ、再び現場に戻るため午後一時ころ自宅を出たが、その時も元気であったこと(原告本人尋問の結果中には、森永が、当日昼食を食べた後に一〇分程度寝転んだりして、ずいぶん疲れている様子であった旨の供述もあるが、<証拠略>の記載に照らして直ちに採用することはできない。)、
(6) 森永は、死亡当時、昭和三年生まれの五四歳であり、二〇年以上にわたり電気工事の仕事に携わってきた者であること、流通センターの仕事が始まる前の日常生活は、概ね午前七時半ころ起床し、夜は午後一一時ころ就寝するというものであったこと、そして、本件事故が発生するまでの間の健康状態には格別悪いところはなく、医者にかかるようなこともなかったこと、流通センターでの仕事が始まってからは、一緒に働いていた菅隆紀から見ても、少し疲れた様子が見られる程度であったこと(<証拠略>、原告本人尋問の結果中には、流通センターの仕事が始まってからの自宅における森永の様子からは、仕事の疲労が相当程度に蓄積していたように窺われた旨の記載や供述があるが、他にこれを裏付ける資料はなく、<証拠略>などに照らして直ちに採用することはできない。)、
以上の事実が認められる。
なお、(証拠略)、原告本人尋問の結果中には、森永が、毎日午前七時から八時にかけて図面の作成などにあたっていた旨の記載及び供述があるが、この部分に関する原告本人尋問の結果は矛盾が多く信用性に欠け、また(証拠略)の記載に照らすと前記(証拠略)の記載は直ちに採用することはできず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
2 次に森永の資金繰りなどについてみると、証拠(<証拠略>)によれば、森永は、昭和五八年一月二六日に国民金融公庫から二〇〇万円の融資を受け、本件事故当時は毎月約九万円前後の返済をする必要があったこと、同年三月一一日に豊和相互銀行から一〇〇万円の融資を受け、本件事故当時は毎月約一〇万円の返済の必要があったこと、昭和五七年九月一八日にプロミス株式会社から五〇万円の融資を受けていたこと、本件事故当時に有限会社真鍋電器照明に対し二〇万二一八〇円の買掛金債務を負担していたこと、昭和五八年七月三〇日に生長産業株式会社から電話加入権を担保に一〇万円の融資を受けていたことが認められる。
なお、(証拠略)には、右債務の他にも柳井電機材料、東芝株式会社、杉野百貨店に合計二五〇万円の債務があった旨の記載があり、さらに、原告本人尋問の結果中には手形の決済にも追われていた旨の供述があるが、これらを裏付ける具体的な証拠はなく、右記載や供述から直ちに右負債などの存在を認定することはできない。
3 右1、2の各事実によれば、森永は、本件事故前の昭和五八年八月三〇日ころから流通センターの仕事のために多忙な時期で、それ以外に突発的な修理の仕事などもあって労働時間も長時間におよび、肉体的に疲労が蓄積していたであろうこと、サラ金などからの借金があるなど資金繰りが必ずしも順調ではなく、この点で精神的にも苦労があったであろうことは推認される。
しかし、まず本件事故が発生した前日から当日にかけての業務であるが、流通センターでの作業や養魚場での修理は長年携わっていたもので習熟していた作業であり、養魚場での作業も深夜ではあったが僅か一五分程度で終わったものであること、本件事故前日の夕食は、仕事の関係者らとホルモンを食べに行きビールを少し飲む程度の余裕があったことに照らすと、本件事故の前日から当日にかけて、森永が突然困難な業務に従事したことや、同人にとって精神的な衝撃を受けるような出来事が発生したことは認められない。
次に、流通センターでの作業が始まってからの状況についてであるが、そこでの作業は長年従事し習熟した電気工事であって経験のない業務に携わったわけではないこと、流通センターの工事に携わってから本件事故が発生するまでには約三週間が経過しているが、八月中の稼働状況については、流通センターでの労働時間や労働密度、休日の有無、流通センター以外の仕事の有無や内容について明らかではなく、その間森永に長期にわたる疲労の蓄積があったと認めることはできないし、却って、同年九月初旬ころが多忙となったのは流通センターの建築関係の工事が遅れた影響もあったためで、これは仕事を開始した当初は仕事にかかろうとしてもできない状況にもあったものと推認されるなど森永の流通センターにおける労働密度が継続的に非常に高いものであったとは認められないことなど、流通センターでの仕事が当初より継続的に厳しい労働であり、その間森永に長期にわたる疲労の蓄積があったとは認められない。
さらに、八月三〇日以降はかなりの長時間労働ではあるが、不慣れで困難な作業でもなく、九月一日が翌二日の午前零時ころまでの作業になったのも他の業者の作業が遅れた影響によるもので、労働密度の格別高い状態が続いていたとは認められないこと、納期に追われることはこれまでもあったものと思われること、また、借金は遅くとも昭和五七年九月ころから始まっており、そのころから資金繰りが順調ではなかったと推認され、本件事故発生当時に特に困難な状況が発生したものとは認められないことなどの事情に照らすと、本件事故前約一週間の業務が重労働であったとは認められるものの、量的、質的に特に過激な業務に就労したことを認めるに足りる証拠はない。
したがって、森永の死因である心筋梗塞症について業務起因性を認めることはできない。
第四 以上の次第で、大分労働基準監督署長の本件処分に違法な点はなく、原告の請求は理由がないからこれをいずれも棄却し、訴訟費用の負担について行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 坪井宣幸 裁判長裁判官林醇、裁判官山口毅彦はいずれもてん補のため署名捺印できない。裁判官 坪井宣幸)